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金沢地方裁判所 昭和45年(ワ)311号 判決 1974年3月15日

原告 三浦将司 外一八名

被告 国

主文

原告らの被告に対する主位的請求及び並列的請求をいずれも棄却する。

本件予備的訴を却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告ら

1.主位的請求の趣旨

原告らが被告との間に、雇用契約類似の契約に基づき、金沢大学医学部外科学第一講座及び同大学医学部附属病院外科学第一診療科において、医師として診療、研究等の業務に従事する権利を有することを確認する。

2.予備的請求の趣旨

原告らが被告との間に、雇用契約類似の契約に基づく権利を有することを確認する。

3.並列的請求の趣旨

被告は原告らが金沢大学医学部外科学第一講座研究室等(研究室、医局、図書室、実験室、仮眠室等)及びこれに附属する諸施設に立ち入り、研修、研究、実験、休息等を行うことを実力をもつて妨害してはならない。

4.訴訟費用の負担

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

1.本案前の申立

(一)  本件各訴をいずれも却下する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

2.本案の申立

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、原告らの請求原因

1.被告国の地位及び金沢大学医学部の組織

(一)  被告国は、国立学校たる金沢大学の設置者であり、金沢大学医学部の附属の教育研究施設である附属病院の開設者である。

(二)  金沢大学医学部には講座が置かれ、附属病院には医学部の右講座のうち臨床系の各講座に対応する診療科が置かれ、診療を通じて教育及び研究を実践する場となつている。そして、講座主任の教授が当該診療科の科長を兼ね、講座所属の助教授、講師及び助手の文部教官並びに診療科所属の講師及び助手の文部教官を統率しており、両者は一体となつて当該分野の教育、研究及び診療の三機能を総合的に遂行している。

右講座の一つとして外科学第一講座があり、これに対応する附属病院診療科として外科学第一診療科がある(以下単に「第一外科」という場合には、この講座と診療科を合わせたものを指す。)

そして、外科学第一講座には教授、助教授及び助手各一名が配置され、外科学第一診療科には講師二名及び助手六名が配置されている。

(三)  右のように、大学医学部の附属病院は、組織法的には医学部の教育研究のための附属施設として設置されたものであるが、現実に行つている診療の実態をみると、右の設置目的をこえ、当該地方での最高水準の医療を行う総合医療センターとしての役割を果し、その医療需要は通常の市中病院のそれと比較し高度且つ膨大であり、組織法の予定する人員、すなわち文部教官のみではこれらの医療需要に応じることが不可能である。

一方、医学部を卒業し医師国家試験に合格して医師免許を取得した医師にとつて、卒業後の一定期間は指導的医師の下で診療に従事しながら専門分野の臨床修練及び研究を行うことが必要であり、設備が整い指導的医師の揃つている医学部附属病院は、右の臨床修練及び研究を行うには好適の場である。

そこで、大学医学部はこれらの医師を受け入れ、診療業務を通じて専門分野ごとの指導教育を行い、病院施設を利用させて一層の医療技術を修得させ、また各自のテーマにつき学位論文を提出する機会を与えているが、一方ではこれらの医師を多数診療に従事させることにより前記の膨大な医療需要に応えているのであつて、これらの医師は附属病院における診療業務を担う重要な構成メンバーとなつているのである。

(四)  右の医学部講座主任と附属病院診療科長を兼ねる教授の下に、当該専門分野の教育、研究、診療、臨床修練等を行う多数の医師が集つて、一つの組織を形成した存在がいわゆる医局である。そして、医局は単なる「医師だまり」にとどまるだけでなく、診療上の単位として重要な機能を果し、且つ教育、研究、研修の場として定着してきたものである。

第一外科の場合、医局の構成員は、助教授、講師及び助手の有給の文部教官と、大学院医学研究科学生その他の無給の医師とからなつており、後者を通常無給医局員と称している。

2.原告らと被告国との契約

(一)  契約の内容及び性格

(1) 原告らは、いずれも、免許を有する医師であるが、別表一(身分経過一覧表)の入局年次欄記載の年月頃、金沢大学医学部長(以下「医学部長」という。)及び同附属病院長(以下「病院長」という。)を介して被告国との間に、雇用類似の無名契約を締結し、第一外科医局に入局し、爾後別表一記載のとおり同医学部外科学第一講座及び同附属病院外科学第一診療科の勤務医として、診療、研究等の業務に従事してきたものである。

原告らが被告国との間に締結した右契約の内容は概略次のとおりである。

ア 原告らは、診療、教官の講義研究等の補助など第一外科医局の業務を担当する。診療上の業務は<1>病室業務(入院患者に対する診療)、<2>外来業務(外来患者に対する診療)及び<3>出張業務(関連病院における診療)に大別される。これらの診療上の業務については、毎年度末の医局会において医局長から翌年度内の各医局員の勤務割当てが発表され、各医局員は右割当てに従つて右各業務を担当するが、割当ての方法は一年間を数期間に分けて各人に対し各期間ごとに前記<1>、<2>、<3>のいずれかを割り当てるというものである。<1>、<2>、<3>のいずれであれ、診療の現場で原告らが担当する業務は、病歴聴取、診察、検査、手術、投薬、術後管理等の診療行為であつて、これらは医師法が予定する業務そのものである。

イ 被告国は、原告らに対し、病院の診療施設を無償で使用させて診療を通じての教官等指導的医師による臨床修練を受けさせ、資材、実験器具、研究室、実験室等の研究施設を無償で使用させて研究の便宜を供与し、学位論文提出の機会を与え、大学又は市中の病院への就職を斡旋するなど退局後の職場を確保する。大学院医学研究科学生を除く無給医局員は、六年以上医局業務に従事することによつて学位論文を提出する資格が与えられ、教授の承認があればその論文は審査委員会を素通りし、博士の学位を授与されており、学位の授与も臨床修練とともに無償労働に対する対価となつている。また、医局からの就職の斡旋その他の便宜が供与されないかぎり、金沢大学医学部が人事権を握つている地域で就職することも開業することも事実上不可能であるから、右の就職の斡旋、確保も無償労働に対する対価の一つといえる。

ウ 期間は、特に定められていないが、通常六ないし八年の期間経過後、本人の希望により退局する。

エ 報酬は、特に定められていないが、医局内で勤務する場合は原則として無給であり、医局を通じて関連病院へ出張した場合は、当該病院より手当が支給され、それから医局への積立金を差し引いた額をもつて当人の報酬とする。

(2) 原告らは、入局によつて病院組織の構成要員(医師団)に組み入れられ、そのなかにおいて、原告らが展開する業務内容、業務割当ては、有給の文部教官と同質であつて、その間に截然たる区別はなく、また場所的、時間的拘束も同一である。しかも、これらの業務を担当する場合には診療科長(主任教授)、医局長等の指揮監督に従い、またこれまで第一外科医局において形成されてきた就労慣行に基づきその業務を遂行し、この労務の対価として(1)のイ及びエで述べた各種の利益、便宜の供与を受けてきているものであることからすれば、原告らと被告国との間には一応私法上の雇用契約が成立しているものということができる。しかし、原告らは病院の指揮命令に従つて診療業務に従事してはいるものの、主治医としての業務において自主性が尊重されている点及び臨床技能等の伝授を受けている点を考慮すれば、本件契約は雇用契約的要素を主軸として更に委任契約的要素及び習業契約的要素が付加、混合した私法上の無名契約と解すべきである。

(二)  医学部長及び病院長の契約締結権限

(1) 大学法制上の授権

被告国は金沢大学の設置者として、同大学の有給職員(国家公務員)の種類を法定しているが(国立学校設置法施行規則一条)、その余の補足的職制を含む同大学の内部組織については、「大学の自治」に基づく管理、運営上の自主権及び慣習律を尊重する建前から、「その大学が定める」として同大学に広範な自主決定権を授権している(国立学校設置法施行規則三一条)。

これを受けて、金沢大学管理規程は、各学部の教授会が当該学部の学科、講座並びに教育及び研究に関する施設の設置廃止、その他教育、研究及び運営に関する重要事項等を審議決定するとしたうえ(同管理規程一五条)、学部長は当該学部を統括し、これを代表し、教授会の定めた方針にのつとり当該学部の運営にあたり、その責に任ずるものと規定し(同管理規程二〇条)、「学部の自治」を尊重する立場から医学部の組織、運営等の決定権については、これを大学から医学部の教授会、学部長へと授権しているのである。医学部は、このように被告国から授権された学部運営権限を根拠として学部の内規や補足的職制を制定する権能を有するところ、絶対数において不足している医学部の教育、研究及び診療要員を補充する職制上の必要から無給の医局員を置くことを定め、医学部長は医学部を代表し、被告国の代理人たる地位において原告らとの間に本件契約を締結し、原告らを医学部の常勤無給職員として雇い入れたものである。

また、被告国は金沢大学医学部附属病院の設置者として、その内部組織の大綱を定めているが、同病院の診療、研究要員その他の職制及び細目的内部組織については金沢大学の規制に委ねている(国立学校設置法五条、同法施行規則一四条ないし一九条及び二九条)。同大学は、右授権を受けて、医学部附属病院規則により、教授、助教授、講師及び助手のほかに、副手、研究員、臨床研究医、臨床研修医、専修生又は医員である医師も科長の命を受けて診療に従事することを定め(同規則八条)、診療要員の絶対的な不足を補充する職制上の必要から、自主的にこれら補足的職制を設けている。病院長は、病院全般の管理、運営をつかさどり、病院を総括し、これを代表する権能を有するところ(金沢大学管理規程二〇条、医学部附属病院規則二条)、右の補足的職制を充員する必要から、被告国の代理人たる地位において、原告らを同病院の常勤無給職員として雇い入れたものである。

(2) 慣習法上の授権

仮に、医学部長及び病院長に大学法制上、本件契約を締結する権限がないとしても、前記大学法制上承認されている広範な自主決定権を背景として大正九年頃成立し、以来現在に至るまで五二年の長期にわたつて維持されてきた「医局制度による学部及び病院の組織運営」という実態のなかから、当該関係者らの法的確信に支えられて事実上確立した「無給医局員制度」という慣習法上の職制制定権に授権されて、被告国の代理人たる地位において本件契約を締結したものである。

(3) 医学部長及び病院長による共同代理

原告らはいずれも第一外科医局に所属するが、医局は診療を核として教育、研究の機能もあわせもち、医学部外科学第一講座と附属病院外科学第一診療科との“橋渡し”的役割を果し、講座と診療科の両組織は医局を介し結合している。そこで、原告らは医学部長及び病院長を被告国の共同代理人とする形式において、入局時に右両者と本件契約を結び、ここに被告国との間に本件契約を締結し、爾後医学部及び附属病院の勤務医(職員)たる地位を得ていたものである。

(三)  契約の成立

(1) 明示的意思表示による契約の成立

原告らは前記各入局年月頃、第一外科医局主催の入局オリエンテーシヨン又は医局長若しくは古参医局員を介しての入局勧誘を受け(これらは本件契約申込の誘引たる性質を有する行為と解される。)、その頃第一外科担当教授(同教授は医学部外科学第一講座の主任教授たる地位と附属病院外科学第一診療科の診療科長たる地位とを兼併し、同医局の主宰者たる地位にある。)と面接したうえ、同教授に対し、医局の業務(診療、研究、教育等)に従事することを主軸とする医学部及び附属病院の医師として勤務すべく本件契約の申込みをなし、その頃、同教授の承諾を得てここに被告国との間に本件契約を締結し、同医局の慣行に則して、医局長の指示のもとに入局者名簿に各自署名し(これは契約成立の確認行為たる性質を有する。)、身上書、印鑑等を医局の事務員に提出し、爾後医局長から診療業務等の割当てと就業上の指示を受けて、主として同医局の業務に従事していたものである。

ところで、医学部及び附属病院においては、講座、診療科、医局の自治と慣行を尊重する立場から、各講座、診療科の主任教授(診療科長)に対し、それぞれの組織、運営権を委ねており、外科学第一講座主任教授(外科学第一診療科長)は右授権の範囲において且つ補足的職制を充員すべき旨の医学部長、病院長の意を受けて、右両者の復代理人たる資格において、原告らとの間に前記の個別的手続と慣行に基づき本件契約を締結したものである。

(2) 黙示的意思表示による契約の成立

本件契約の成立につき、仮に主任教授との間の明示の意思に基づく締約が認められないとしても、原告らは主任教授の承諾を得て第一外科医局に入局し、病院の診療等の業務に従事することによつて、以下に述べる如く、医学部長及び病院長との間に黙示の意思表示による契約を締結したものである。

即ち、前記のとおり、原告らは主任教授に入局の申込みをなし、その承諾を得た後入局者名簿に署名する等の手続を了して第一外科医局に入局し、その頃医局長から医局内での診療業務等の割当てと指示を受け、先輩医局員の指導の下に当該業務を担当し、医局員としての活動を開始した。原告らのこのような業務担当は、医局内で確立している慣行に則して極めて公然と、むしろ自明の理として開始されたものであり、医学部、附属病院の統括、代表権者である医学部長、病院長においても右慣行を当然のものとして受容し、右各業務の担当を黙示的であれ、全面的に承認していたものである。以上要するに、原告らは、入局に際し、主任教授を通じて医学部長及び病院長に対し本件契約の申込みをなしたものであるところ、右両者は原告らが入局後前記各業務に就いていることを知りながら黙示的にこれを承認し且つそれぞれの部局の職制上の位置に原告らを整序して掌理統括し、もつてその頃右申込みに対する黙示の承諾をなして本件契約を締結したものである。

(3) 契約の成立時期

本件契約は、原告らが第一外科医局へ入局した時に成立したものである。即ち、雇用契約においては、一般に、就労開始時が契約成立時というべきであるが、原告らは前述のとおり、主任教授から入局許可を得て入局した日と同日又はこれと近接した日時において医局長から診療業務等の割当てと就業上の指示を受けて同医局の業務に従事していたものである。また、勤務場所、身分、職種、対償、勤務時間等の具体的就労条件が右契約の重要な要素をなしているが、そのすべてが当初から決まつている必要はなく、契約の成立に必要な限度において定まつていれば足りる。本件においては、原告らは入局オリエンテーシヨン、勧誘等において入局後の就労場所(学部及び病院)、職務内容(教育、研究、診療業務)、対償(臨床修練、研究、学位、出張先及び就職先の斡旋等の利益供与)等につき、大筋の説明を受けてこれを了解し、その細部についてはこれまでの医局の慣行に従い、また主任教授等に一任することを承諾して入局したものであり、この点においても、入局時をもつて契約成立時と解するにつき問題はない。なお、原告らの一部は入局後において副手若しくは研究員の委嘱又は臨床研究生若しくは臨床研究医の許可を受けているが、原告らの入局に際し、後日副手、研究員、臨床研究生その他どのような身分的取扱いを受けるかについては殆んど説明がなく、医学部の取扱いをみても副手の委嘱等は内規、規程上の身分に原告らを整序するための形式的、便宜的手続としてなされており、右身分的取扱いの決定の有無がそのまま本件契約の成否を決めていたわけではない。本件契約の締約手続は、前記の入局勧誘、教授との面接、入局承諾、入局者名簿への署名、身上書・印鑑等の提出によつて完了しているのであつて、副手の委嘱等及び当該辞令の交付はこれを公証し、原告らの身分取扱いを明らかにする成約後の手続にすぎない。

仮に、本件契約が原告らの第一外科医局入局時に成立しなかつたとしても、以下に述べる原告らについては、それぞれ副手の委嘱又は臨床研究生若しくは臨床研究医の許可を受けた際、右委嘱若しくは許可を通じて又はこれと合体した黙示の意思表示(申込、承諾)によつて医学部長及び病院長との間に本件契約を締結したものである。

原告名  委嘱あるいは許可を受けた年月

大谷健  昭和三七年四月(副手)

三浦将司 昭和三八年四月(副手)

関川博  昭和三九年七月(副手)

米倉幸人 昭和四〇年八月(副手)

永守郁夫 昭和四〇年一二月(副手)

高橋卓朗 昭和四三年一〇月(臨床研究生)

松田尚武 昭和四〇年五月(副手)

岡田成  昭和四〇年七月(副手)

長谷川洋 昭和四三年九月(臨床研究生)

奥村雄外 昭和四三年九月(臨床研究生)

浜辺昇  昭和四一年四月(副手)

藤記久毅 昭和四二年四月(副手)

福田明史 昭和四二年四月(副手)

土屋良武 昭和四四年四月(臨床研究医)

斉藤大直 昭和四四年四月(臨床研究医)

3.解雇及びその無効

(一)  解雇行為の存在

原告らは、昭和四五年四月、医学部長の指示により金沢大学医学部に対し、別表一の身分申請欄記載のとおり医学博士号を有する者は研究員、有しない者は副手としての身分的取扱いを受けるべく、それぞれ当該申請をなしたところ、被告国は、医学部教授会が同年五月六日原告らの全員について「秩序紊乱行為があり現状ではすべて不適格である」として右申請を却下する決定をしたことを理由に、右同日医学部長及び病院長を介し、原告らに対し、爾後医学部外科学第一講座研究室等(研究室、医局、図書室、実験室、仮眠室等)及びこれに附属する諸施設に立ち入り、研修、研究、実験、休息等を行うこと並びに附属病院外科学第一診療科の診療室、病室等に立ち入り、診療業務等をなすことを一切禁止して、原告らの第一外科における勤務を拒み、同日以来原告らを勤務医として処遇しない。

原告らは、前に述べたとおり、いずれも学位取得等の目的の下に、七、八年位在局する予定で、被告国との間に期限の定めのない雇用契約類似の契約を締結していたものであるから、被告国の行つた右申請の却下及び診療等の禁止の措置は、形式はともあれ実質上は本件契約を一方的に解除し原告らを解雇する処分というべきである。

また、本件解雇は、形式的には通常解雇の形態をとつているが、その実質は原告らに秩序紊乱行為があつたと称し原告らを第一外科医局から追放する目的の下に行われたものであるから、懲戒解雇に該当するというべきである。

(二)  懲戒事由認定上の違法

懲戒処分が有効であるためには、懲戒事由の認定に際し、その客観性及び合理性を担保するような認定資料の存すること、及び被懲戒者を聴聞し、弁解の機会を与える等適正な手続を経ることが必要である。

しかし、昭和四五年五月六日医学部教授会が本件懲戒処分を決定した際、懲戒事由の認定資料は全くなかつたものである。

また、医学部教授会は、右決定をした際、原告らを聴聞し、これに弁解の機会を与えるという手続を経ていない。

(三)  懲戒処分選択上の違法

懲戒については、その基準を定立し、当該非違行為の程度に相当する種類・程度の懲戒処分を選択・決定するという手続が必要であるが、本件においてはそのような手続が経られていない。

(四)  動機の不正

懲戒処分が不正な目的の下に行われたときは、当該処分は実体的に違法無効なものというべきである。本件懲戒処分は、以下述べるような不正目的のもとに行われたものである。即ち、医局は、前記のとおり、附属病院における診療上の単位としての機能を果すとともに、医局員にとつては教育、研究、臨床修練等の場として期待され、多数の若手医師を集めてきたが、これまでの実態は教育、研修の場として充分に機能することなく、学閥的に系列化された関連病院へ若き医師を出張又は就職の形で派遣し、これを支配する中核にすぎなかつた。そして、若手医師の労働力をさばく「手配局」となつた医局は、勤務医のフリーマーケツトの不存在、臨床医学の特殊性等に支えられて、医局員を無気力な無権利・隷属的状態にとどめ、臨床系教授の権威を不当に膨張させ、その存在を特権的・独裁的なものにしてきた。そこで、原告らを含む第一外科無給医局員四二名は、昭和四四年四月二〇日、医局制度の改革を目指して第一外科医局改革会議を結成し、民主的な医局運営の実現のため、医局長を公選とすること、医局会議を医局の最高機関とし教授以下すべての医局員に一人一票の議決権を与えることの二項目を骨子とし、医局の人事及び会計を公開することなど四項目の付帯事項からなる決議文を全員一致で確認した。この決議文を同月二二日開催された医局会に正式に提出したところ、文部教官らも右二項目の即時実施を訴える要望書を卜部美代志教授に提出し、その結果同月二八日には卜部教授も右要求事項に全面的に同意した。その後、同年五月一七日に医局総会の議を経て第一外科医局会議が設立され、翌一八日には第一外科医局会議規約が卜部教授以下全構成員の任意に基づく署名の下に成立発効する運びとなつた。そして、右医局会議規約に基づき医局長を公選する等して民主的運営実現のための諸活動をなし、その結果、民主的な医局人事の決定、医局会計の公開、関連病院のあり方の再検討など、諸改革がなし遂げられた。

ところが、同年七月一六日深谷月泉助教授以下の文部教官らは、医局会議規約が教授固有の管理運営権を奪つたこと等を理由に医局会議から脱退し、新たに教室会議を設立した。また、右同日、同じく医局会議に属していた卜部教授は、「医局が二派に分裂した以上主任教授はいずれにも属すべきではない。」として医局会議を脱退し、右のいずれの会議にも属さない中立の立場をとる旨宣言し、更に同年八月九日第一外科学教室運営方針並びに同運営規定(いわゆる卜部運営規定)なるものを宣言し、これをもつて医局の運営にあたるから原告らもこれに従うよう一方的に強要してきた。そこで、原告らは、教室会議に属する文部教官に対し、原告らと共に医局会議を設立しておきながら他にいかなる理由と必要があつて教室会議を設立したか、またいかなる理由で医局会議を脱退して教室会議に加わつたかなどを質問するとともに、教室会議を解散し速やかに医局会議に復帰するよう説得活動を行つた。これに対し、深谷助教授以下教室会議所属の人々は、論議することを極度に回避し、黙秘を続けるかあるいは口を開けば問答無用の姿勢を示し、ついには原告らの説得活動における個別的交渉あるいは団体交渉が暴力的になされたため診療、研究等を妨害され医局にとどまることができなくなつたと称し、同年九月頃いつせいに診療、研究を放擲して医局から逃避し自宅にこもつた。また、卜部教授も過労ということで同年一〇月金沢大学医学部附属病院第一内科に入院した。そこで、原告らを始めとする無給医局員らが中心となつて第一外科の診療や研究を継続した。

その後、同年一二月一九日、医学部教授会は卜部教授を転地療養ということで休職にし、深谷助教授を外科学第一講座主任代行に任命した。そして、昭和四五年一月に入り、教室会議派は医局の正常化を図ると称して再登院し、今後の診療は文部教官だけで遂行するから原告ら無給医局員はその指示に服して診療に従事すること、右指示に従えない者は医局から出て行くことを主張して診療を強行し、原告らを医局から排除しようとして医局の混乱を招いた。医局会議派はこの混乱を収拾し医局の正常化のため医局会議派と教室会議派の全体会議を開くよう申し入れたが、文部教官は従来と同様一方的に命令に従えの一点張りで話合いに応じようとしなかつた。

ところが、同年四月、医学部教授会は、例年全く事務的に行われていた無給医局員の身分更新手続に際し、医学部副手内規を改正して「臨床講座の副手を委嘱するときは、別に定める誓約書を徴するものとする。」との規定を加えたうえ、原告らを含む無給医局員に対し博士号を有する者は研究員、有しない者は副手の発令申請を行うよう指示してきたので、原告らは前記のとおり研究員又は副手の発令申請を行つた。しかし、同教授会は同月二七日第一外科を除く全科の発令申請を一括承認しながら、原告ら第一外科の申請者三二名については、深谷主任代行の内申(推薦)がないこと、及び副手申請者らが所定の誓約書を提出していないことを理由に決定を保留した。その後、同年五月六日の同教授会において、原告ら第一外科の申請者について深谷主任代行より同代行としては発令内申をし難い旨の説明があり、病院長からも事情説明があつて発令の可否を審議したが、現状ではすべて不適格であると深谷主任代行が判断することもやむを得ないとの結論に達し、原告ら第一外科の研究員又は副手の発令申請を不承認とした。即ち、被告国は、右不承認を理由に原告らとの間の本件契約を解除し、原告らを解雇したものである。

以上で明らかなように、本件解雇は、原告らの正当な医局改革運動を封殺し、原告らを医局から排除しようという不正な目的の下に行われたものであり、原告らの労働条件に関する一切の交渉権を否認する考えに基づいており、引いてはその思想、信条を理由とする解雇であり、更には国家作用を私物化するものというべく、著しい権利の乱用であり、違法なものといわなければならない。

(五)  懲戒処分の相当性の欠如

懲戒処分は、行為の違法性、行為者の地位、実害の程度という観点から判断し、内容程度において相当性を有するものでなければならない。

既に主張したとおり、原告らにはそもそも違法な行為などありえないのであるが、仮に具体的個々の行為が違法と認定されることがあつたとしても、原告らの一連の行為は医学部当局の不当な弾圧行為に対抗するためになされたやむをえないものばかりであり、それが多少行きすぎだといえてもすべて軽微な実害のないものばかりであり、懲戒解雇に相当するような重大な非違行為などはなかつたものである。従つて、本件懲戒解雇はこの点においても実体上違法無効なものといわなければならない。

(六)  結論

以上のとおり、本件懲戒解雇は、手続上も実体上も違法無効なものである。

4.結び

よつて、原告らと被告国との間の本件契約はなお有効に存続しているものであり、原告らは右契約上の地位に基づき請求の趣旨記載のとおりの裁判を求める。

二、被告の本案前の主張

1.主位的請求について

(一)  本件主位的請求の趣旨は、従前の請求の趣旨である「被告は原告らが金沢大学医学部附属病院外科学第一診療科において診療業務に従事する地位にあることを確認する。」を補正したものとして主張されているが、その確認の対象は<1>被告国との間の雇用契約類似の契約に基づくものであること、<2>金沢大学医学部附属病院外科学第一診療科のみならず同医学部外科学第一講座における地位をも含んでいること、<3>単に診療業務に従事する地位ではなく、医師として診療及び研究等の業務に従事する権利であることにおいて、補正前の確認の対象と異る。

ところで、確認訴訟においては、訴訟物の範囲及びその異同は請求の趣旨のみから厳格に判断されなければならないが、右のとおり補正前の確認の対象と補正後のそれとの範囲は明らかに異るから、原告の主張する請求の趣旨の補正は、その範囲を逸脱し、請求の趣旨の変更即ち訴の変更であるといわなければならない。そして、訴の変更は重大な訴訟行為であり且つ民事訴訟法二三二条の要件を充足しなければならないから、請求の趣旨の補正の主張をもつて直ちに訴の変更として取り扱うことはできない。

仮に、訴の変更として扱えるにしても、右変更は著しく訴訟手続を遅延させるから許されない。従つて本件主位的請求は不適法である。

(二)  仮に、右の補正が補正として許容されるとしても、補正された主位的請求は確認訴訟における訴訟物として要求される一義性、核心性を欠き、不適法である。即ち、金沢大学医学部及び附属病院において医師として診療に従事する場合、そのよつて来る根源は具体的地位、例えば教授、協力研究員、医員等という地位そのものにあるのであつて一律ではなく、教授、協力研究員、医員といつた具体的地位が与えられてはじめて同大学医学部及び附属病院において診療等に従事することができるのであるから、右各地位を特定していない主位的請求は、訴訟物が不明確且つ不特定であり、不適法なものというべきである。

2.予備的請求について

主位的請求に対して述べた(二)と同様の理由により、予備的請求も確認訴訟の訴訟物として要求される一義性、核心性を欠き、訴訟物が不明確且つ不特定であり、不適法なものというべきである。

3.並列的請求について

並列的請求は、被告国に対し妨害予防の不作為を求めるものであるが、それは結局庁舎管理者の管理作用を覊束することになるから、結果的に行政訴訟において認められない、いわゆる義務づけ訴訟にあたり、不適法なものというべきである。

仮に、義務づけ訴訟が認められるとしても、少なくとも、<1>他に救済方法がないこと及び<2>行政庁のなすべきことが一義的に確定されること、の要件を充足しなければならない。

しかし、<1>の要件についていえば、被告国は、被告国と原告らとの間に何らの法律関係もないことを前提として、原告らの施設への立入りを禁止しているものであつて、仮に主位的請求が認容され原告らと被告国との間に何らかの法律関係のあることが認められた場合には、原告らの施設への立入りを禁ずるものではない。即ち、並列的請求は主位的請求によりその目的を果すことができ、他に救済方法がある場合に該当するから、不適法というべきである。

また、<2>の要件についていえば、仮に原告らに施設利用権限が認められても、その利用関係、すなわち誰に、どこを、どのように利用させるかは、庁舎管理権者が必要に応じ自由に定め得る性質のものであつて、決して一義的なものということはできない。従つて、この点においても、並列的請求は不適法というべきである。

三、請求原因に対する認否

1.請求原因1のうち、(一)及び(二)(文部教官の配置数は除く。)は認め、(三)及び(四)は争う。

2.請求原因2のうち、原告らが免許を有する医師であることは認める。また、別表一記載の原告らの身分経過に対する認否は、同表記載のとおりである。その余は争う。

3.請求原因3のうち、別表一記載のとおり、原告らが昭和四五年四月副手又は研究員の申請をなし、その申請が却下されたこと、及び原告らが第一外科医局改革会議を結成していることは認めるが、その余は争う。

四、被告の主張

1.副手等の法的地位

(一)  大学医学部を卒業後医師国家試験に合格すれば医師免許を取得することができるが、そのままでは臨床的経験を欠き、医療技術が未熟であるため、独立した臨床医師として機能することが殆んど不可能である。臨床医師として独立するためには、施設、設備が整い、優秀なスタツフが揃つている大学医学部及びその教育研究施設である附属病院又はこれに準ずる病院においていわゆる卒後教育を受ける必要がある。かかる卒後教育の場を与えるため、金沢大学においては、従来から学内規程により、これらの医師に対しその経歴等に応じて医学部副手若しくは研究員の委嘱を行い、又は臨床研究生(後に臨床研究医)として研究に従事することを許可するという制度を採用してきた。

このうち「副手」は、大学医学部卒業者又はこれに準ずる学力を有する者を対象として、金沢大学医学部の医学部副手内規に基づき医学部長が研究又は診療上特に必要があると認めるときに委嘱するもので、文部教官の指揮を受けて研究又は診療に従事し、委嘱期間が一年で、常勤を原則とし、無給である。

「研究員」は医学博士の学位を有する者又はこれに準ずる者を対象として、金沢大学医学部の医学部研究員内規に基づき医学部長が研究又は診療上特に必要があると認めるときに委嘱するもので、研究又は診療に従事し、委嘱期間が一年で、無給である。

しかし、副手及び研究員の制度は、昭和四六年三月一三日をもつて廃止となつた。

一方、昭和四三年九月二七日、金沢大学の臨床研究生規程が制定され、同年一月五日に遡及して適用されることとなり、副手のかなりの部分は臨床研究生に切り替えられた。

「臨床研究生」は、医師免許を有する者等を対象として、医学部長が附属病院で臨床研究を行うことを許可したもので、病院長の統轄の下に各診療科長の指導を受け臨床研究に従事し、研究期間が一年以内で、月額八〇〇円の授業料を支払う一方、診療業務に協力したときは一日六〇〇円の診療協力謝金が支給された。そして、臨床研究生は昭和四四年四月からその名称を「臨床研究医」と改められた。しかし、臨床研究医制度も昭和四五年三月三一日をもつて廃止され、同年四月一日から医員制度に切り替えられた。

「医員」は、昭和四五年六月一九日施行、同年四月一日適用の金沢大学医学部附属病院医員取扱規程に基づき学長が任命する非常勤の一般職国家公務員で、国家公務員法及びその関係法令の適用を受け、上司の命令に従い診療に従事し、必要に応じ診療を通じて臨床教育の補助的職務及び臨床的研究にもたずさわり、日給を支給されるものである。

ところで、医員制度の取扱いは昭和四五年四月一日現在ではまだ固まつていなかつたため、取扱いが確定するまでの暫定措置として、博士の学位を有する者には研究員、それ以外の者には副手の身分を与えておき、右取扱いが確定した時点において改めて医員の申請をさせ、四月一日に遡つて医員に任命するという方法がとられた。

(二)  副手、臨床研究生、臨床研究医及び研究員は、以上のように、卒後教育として附属病院において教授、助教授、講師、助手等の文部教官の指導の下に臨床医学の実地修練を受ける被教育者である。副手等は附属病院において診療に従事するが、それは教官の指導の下に医師としての知見技能を高め、医術の奥義をきわめるためのものである。即ちそれは、自己のためにする研究研修であり、一般の病院に勤務する医師が公衆のため自己の技量と責任の範囲内で診療を行なつているのとは全く性格を異にする。なお、副手等は医学部と関連のある病院へ赴くことがあるが、それは出張勤務といつた性格のものではなく、大学の教官だけで被教育者全員の教育を同時に行うことが困難であり、また附属病院で取り扱う症例と地方病院で取り扱う症例とでは性質を異にする場合が多いので、関連病院でも実地修練を受ける必要があるためである。副手等が卒後研修を受けるべき被教育者たる法的地位にあつたことは、臨床研究生、臨床研究医がいずれも授業料を納付すべきものであつたことからも明白である。なお、臨床研究生、臨床研究医には、診療協力謝金を支給したが、その目的は研究生活を経済的に少しでも援助することにあるのであつて、労働力の対価としての賃金を支払うものでないことは、診療協力謝金という名称、性格からも明らかである。また、原告らは、金沢大学では副手等を多数診療に従事させることにより、附属病院に対する医療需要に応えていた旨主張するが、医療法施行規則一九条に基づいて金沢大学医学部附属病院に配置すべき医師の員数の標準を求めれば、昭和四四年当時同病院には三四名の医師を配置すれば足りたところ、当時一〇三名の医師たる文部教官が配置されていたのであるから、原告らの主張は根拠がない。

(三)  医学部長は医師免許を有し研修意欲と能力を有する者について、副手又は研究員への委嘱を行い、また、臨床研究生又は臨床研究医としての受け入れ許可を行うが、この委嘱又は許可は公務員の任命行為に類する一種の行政処分であり、これにより副手等の身分が付与され、その結果として始めてそれらの者に公の営造物たる大学の施設を利用しうる地位が生ずるのである。そして、副手等は大学の管理命令権に包括的に服従すべきもので、大学とはいわゆる公法上の特別権力関係に立つものである。

原告らは、いわゆる「入局」なる事実によつて原告らと被告国との間に私法上の雇用類似の契約が成立するのであつて、副手への委嘱等は一種の補職行為にすぎない旨主張するが、以上のとおり、行政処分たる委嘱又は許可によつて始めて身分関係が発生するのであつて、雇用類似の私法上の契約が成立する余地はなく、原告らの主張は失当である。

2.原告らの地位保有

(一)  原告生垣正、同松田保秀、同三宅隆及び伊藤秀樹は、副手の申請等の身分取得のための手続を一切行わず、無籍のまま第一外科医局改革会議派に属しているものである。

(二)  原告浜辺昇は、昭和四三年五月一一日から昭和四四年七月一〇日まで医学部麻酔科助手としての身分を有していたものであるが、自ら進んで辞職し、その後医学部に籍を得る手続をとらず、無籍のまま第一外科医局改革会議派に属しているものである。

原告土屋良武は、昭和四四年七月一一日から同医学部麻酔科助手として勤務していたが、昭和四五年三月三一日辞職したものである。

(三)  原告三浦将司は厚生技官として国立富山病院に、原告藤記久毅及び同福田明史は助手として金沢大学がん研究所に、それぞれ正式に採用されているものである。

(四)  その余の原告らは、昭和四五年三月末日現在臨床研究医としての身分を有していたが、学内規程の定むるところにより同日限りで身分が切れ、以後無籍となつたものである。

(五)  以上のとおり、原告らはいずれも第一外科において卒後教育を受けるべき身分すら有しないものである。従つて、仮に原告らの本訴請求が副手等の地位は私法上の契約に基づくものであるとして、その地位の確認を求めるものであるとしても、現在においては原告らは何らの身分も有せず、その請求は失当といわなければならない。

3.委嘱の自由裁量性

(一)  金沢大学医学部では、前記のとおり、昭和四五年四月一日からの「医員」制度の取扱いが確定するまでの暫定的措置として、それぞれの身分申請資格者に対し、「副手」又は「研究員」の申請手続をとるように指示した。

従来、副手又は研究員を委嘱する場合には、希望者に履歴書を提出させ、医学部各講座の主任教授において希望者の意向を聞いて適格と認めたものについては内申書(主任教授の推薦状にあたる。)に副申印を押印のうえこれを医学部教授会に提出し、教授会の承認が得られたものについて医学部長が委嘱状を交付するという手続がとられてきた。

原告らは、昭和四五年度の副手又は研究員の身分を得るべく外科第一講座深谷主任代行に申し出たが、深谷主任代行は内申書に副申印を押捺せず、原告らを医学部教授会に推薦しなかつた。そして、教授会はこの取扱いについて昭和四五年五月六日審議した結果、原告らはいずれも現段階では副手又は研究員として不適格であると認定し、副手又は研究員の委嘱をしなかつたものである。

(二)  ところで、副手又は研究員に委嘱するか否かは大学がその自由裁量によつて決定しうるものであり、その判断の当否について裁判所の裁判を受くべき事柄ではない。

特に、原告三浦将司、同生垣正、同松田保秀、同三宅隆、同伊藤秀樹、同浜辺昇、同藤記久毅、同福田明史及び同土屋良武は、昭和四五年三月三一日現在において、第一外科に籍のない全くの無縁の者であり、このような者が昭和四五年度の副手又は研究員となる希望を有していても、副手又は研究員に委嘱しなければならない義務などいかなる意味においてもありえない。

その余の原告らが昭和四五年三月三一日現在第一外科において臨床研究医としての身分を有していたことは事実であるが、臨床研究医としての研究期間は同日までであつて、その日の経過とともにその身分を失い、無籍となつたものである。従つて、これらの原告についても無籍の者を委嘱するという点では前記の原告らと同様であるから、医学部長が右原告らを副手又は研究員に委嘱しなかつたからといつて何ら違法はない。

従つて、仮に原告らの本訴請求が右委嘱拒否は違法であるとして、副手又は研究員の地位の確認を求めるものであるとしても、理由のないものといわなければならない。

4.委嘱拒否の正当性

仮に、特段の事由がない限り、医学部長が原告らを昭和四五年度の副手又は研究員に委嘱すべき義務を負つていたとしても、次に述べる理由により、委嘱しなかつたことは何ら違法でない。

(一)  医局改革会議結成から教室会議結成に至る経緯

卜部美代志教授を主任教授とする金沢大学医学部外科学第一講座において、昭和四四年四月二〇日現状の医局のあり方に反撥する原告らを含む一部医局員が医局改革会議を結成し、同月二二日開催された医局会において<1>医局長を公選とし、<2>医局会議を医局の最高機関として、教授以下すべての医局構成員に一票の議決権を与えることを要求する決議文を提出し、これを認めない場合はスト突入をも辞せずとして卜部教授に対し決議文に署名することを迫つた。そこで、卜部教授はスト突入の事態を回避するため同月二八日不承不承これに署名するに至つた。そして、同年五月一七日医局総会の議を経て第一外科医局会議規約を教授以下全員の署名を得て成立させるとともに、第一外科医局会議を設立した。その後、同月二六日に医局会議を開催し、出席者による投票により原告浜辺昇を医局長に選出した。

ところで、附属病院規則六条は医局長は講師又は助手をもつて充てると規定しており、原告浜辺昇は第一外科の講師でも助手でもなかつたため、医局会議の構成員のうち教官側は右規則に抵触する者が医局長に選出されることを避けるため上山武史助手を浜辺昇の対立候補として推薦したところ、原告らを含む医局改革会議派の若手医師は選出結果が前記規則六条に反したときは、同条を改正させることが改革運動の目的でもあるとし、教官側と若手医師側の対立が現われ始めた。また、同月二八日、若手医師達は整形外科、神経科、精神科及びがん研究所の一部若手医師達をも加えて医局講座制改革会議を設立し、「医局講座制の改革」、「教授会の公開」の要求を掲げて同年六月三日医学部教授会に対し公開質問状を提出した。更に、同月一八日における医局会議において若手医師側から大学立法に反対する声明が提案され、政治問題を医局会議で審議することは不穏当であるとの教官側の反対にもかかわらず右声明は多数決により採択された。また、若手医師らが、医学部及び法文学部学生の行つている大学立法反対ストライキに同調することを計画し、さらに卜部教授及びその他の教官の希望に反して同年秋金沢で開催の予定されていた肺癌学会をボイコツトすることを決定するに及び、教官側と若手医師側との間に激しい対立が目立ち始めた。次いで、同年七月一〇日医局改革会議派は大学立法反対の学生ストに約二〇名参加し、また同月一五日にはついに第一外科の外来診療を放棄(一日)するに至つたので、過激な改革運動に走る若手医師達に見切りをつけ、同月一六日深谷助教授以下一一名の助教授、講師、助手、臨床研究医らが医局会議を脱退して新たに教室会議を設立し、第一外科を卜部教授と協力して運営することを宣言するに至つた。また、卜部教授も同日医局会議を脱退し、両派のいずれにも属しない旨の意思を医局会議に通告した。

ところが、医局会議派は同日教室会議派に対して<1>教室会議を解散すること、<2>全体会議に応ずること、<3>医局会議を確認することの三項目について同月一九日までに回答することを要求し、また同月二一日には卜部教授と教室会議派に対して<1>第一外科を分断させた教室会議を解散して全体会議に応ぜよ、<2>医局会議を再確認せよ、<3>七月一九日の卜部教授通告(教室会議の決定した人事を支持し、これにより医局を運営するというもの。)を撤回せよとの三項目を要求し、要求が容れられない場合は外来診療を拒否することを表明した。

その後、同月二三日に至り教室会議と医局会議の両派の全体会議が開催され、教室会議派は教室会議結成の理由として、<1>医局会議は教授以下の全医局員が一票の議決権を有するものとして、講座の管理者としての主任教授固有の権限を奪つた。<2>医局長に講師又は助手以外の者を選出して、金沢大学附属病院規則に抵触した。<3>医局会議は政治的闘争的色彩を帯び、エネルギーが外へ向つた。<4>医局会議総会はそれに先行して開かれる改革会議の強い影響を受けるようになり、医局会議は改革会議の延長になつた。<5>医局会議の発足以来医局業務の進捗がなく研究はストツプし、また診療に関しても無理と思われるスケジユールが行われた。<6>肺癌学会に協力しない等を掲げ、教室会議の新内規を提示したが、双方の意見は全く対立して物別れに終つた。

(二)  医局会議派と教室会議派との紛争の経緯

医局会議派は、教室会議と卜部教授の脱会に抗議して、同年七月二〇日卜部教授と教室会議派による回診をボイコツトし、同月二四日以降には教室会議派を医局会議に引き戻すべく多人数をもつて勤務中の教官に対し別表三(非違行為一覧表)記載の如き拘束、つるし上げを行い、その診療、研究を妨害し、また卜部教授に対し服従を拒否して回診に付きまとい、更に診療を放棄する等の行為をいやがらせの目的で繰り返し行うようになつた。

かように若手医師らによる卜部教授及び教室会議派に対する執拗な拘束、つるし上げが繰り返されている間、医学部長、病院長らは医局会議派に対し警告、説得を行つたが、医局会議派はあくまで医局会議設立当初の二項目を主張して譲らず、説得に応じないため、正常診療への解決のメドが立たない状況にあつた。

このような状況の中で、九月中旬より深谷助教授らは医局会議派の拘束を避けるため附属病院へ出勤するのを控え、病室に受持患者をもつ矢崎講師らは病室を主とする診療に従事し、医局室へ入ることを避けざるをえなかつた。

また、卜部教授は同年一〇月六日過労(高血圧、糖尿病)で同病院第一内科へ入院し、更に同年一二月八日東京へ転地療養したため、同月一九日の臨時医学部教授会において深谷助教授が外科学第一講座主任代行に指名された。

そして、深谷主任代行は昭和四五年一月五日第一外科医局会議の新年会に出席し、講座主任代行としての就任挨拶を行い、その席上、主任代行として診療の正常化に専念したいと説明し、今後診療正常化を図るため正規職員により診療を行うから協力してほしい旨指示したが、医局会議派は話合いが成立しないかぎり教室会議派の主張する正常な診療はさせないと主張し、別表三記載の如き診療又は講義の妨害を継続した。

原告らは第一外科医局改革会議及び医局会議の構成員として集団の威力をもつて以上に述べた数々の非違行為を行つたものであるが、各人の非違行為についていえば別表四(個別的非違行為一覧表)記載のとおりである。

(三)  副手又は研究員の委嘱拒否

医学部教授会は、昭和四五年度の副手委嘱期にあたり、第一外科医局改革会議所属の医師の過去約一年間にわたる行動からみて、多数の患者の尊い生命を預る附属病院としてこのまゝの状態が継続すれば医療法一五条に基づく病院管理者としての監督義務を遂行することが不可能となると判断し、医学部副手内規を改正して、副手申請者については法令及び大学の請規定に従い公正に診療業務に当る旨の誓約書を提出させる旨議決した。ところが、医局会議派は誓約書ボイコツト宣言を行い、各科に呼びかけるなど一連の反対行動をとつた。

原告らは、前記のとおり副手又は研究員の申請を行つたものであるが、このうち副手申請者は右の誓約書を提出しなかつた。そして、深谷主任代行は、原告らの前記非違行為に鑑み、また副手申請者については誓約書を提出しないことをも考慮し、原告らは副手又は研究員として不適格であると判断し、教授会へ推薦(内申)しなかつた。

その後、同年五月六日の医学部教授会において、深谷主任代行より原告らを含む第一外科副手申請者二六名及び研究員申請者六名については内申し難い旨の申立があり、病院長より医局内の事情の説明がなされ、原告らの委嘱可否について審議したが、現状においてはすべて不適格であると深谷主任代行が判断することもやむを得ないとの結論に達した。

(四)  委嘱拒否の正当性

原告らの前記非違行為は、大学医学部附属病院の実定法上の理念と目的を否定し、人命を預つている病院の規則と秩序を無視し、教官組織による臨床指導と指示を拒否して勝手な診療を強行し、附属病院の運営、管理に重大な支障を生ぜしめるとともに、その秩序を著しく紊乱したものである。かかる重大な非違行為を行い、また副手申請者においては誓約書を提出しなかつた原告らにつき、深谷主任代行の推薦及び医学部教授会の承認が得られず、従つて医学部長が委嘱しなかつたのは正当な判断というべきである。

よつて、原告らは第一外科において診療、研究等に従事し、その施設を利用すべき何らの権限も有しないものであり、原告らの請求はいずれも理由がないものといわなければならない。

5.副手及び研究員制度の廃止

副手の根拠規程である医学部副手内規、研究員の根拠規程である医学部研究員内規は、いずれも昭和四六年三月三一日限り廃止され、副手及び研究員という地位も同日をもつて廃止された。

そして、副手及び研究員に代るべき地位というものは存しない。

「医員」は、前記のとおり、国立大学附属病院に勤務する非常勤の国家公務員であり、被教育者の地位にある副手又は研究員とは全く性格を異にしている。

また、「協力研究員」、「専修生」という地位が存するが、これらは、副手及び研究員制度と同時代から併在していたものであつて副手及び研究員から変化したものではなく、性格的にも、「協力研究員」は既に学位を有し副手又は研究員より格段に高度の医学的素養を有する者が委嘱されるものであり、一方「専修生」は授業料を納付して教育を受ける学生の一種であつて、いずれも副手又は研究員とは異なる。

もつとも、従来副手又は研究員であつた者で当該制度の廃止に伴いその身分を失い、医員、協力研究員、専修生等のいずれかの地位を付与されたものがないわけではない。しかしながら、これらの者は新たに所定の手続を経たうえで審査を受け、医員、協力研究員又は専修生としての適格性を判定されたうえ、これらの地位を付与されたものであつて、全く自動的に変つたものではない。

以上のとおり、副手及び研究員制度の廃止に伴い、それに代る地位というものは全く存しないし、別途他の地位を取得するにしてもそれぞれ所定の手続をとらなければならないところ、原告らはいずれもその手続すらしていないのであるから、仮に前記の委嘱拒否が何らかの理由で違法であつたとしても、現在においては原告らは何らの地位も有していないものである。

6.解雇

百歩譲つて、被告国と原告らの間に雇用類似の契約関係が存したとしても、原告らは前記の非違行為と誓約書の不提出により、昭和四五年三月三一日限り解雇されたものであり、右解雇には正当理由がある。

五、被告の主張に対する認否及び反論

1  認否

原告らの前記主張に反する部分は争う。

2  被告主張の非違行為に関する反論

原告らは医局改革のため医局会議を設立し、医局改革運動を推進してきたが、その成果及び改革運動の他科への影響が現われるに至り、医学部当局及び文部教官は教授の独裁権が奪われることを極度におそれ、右改革運動の切崩し、弾圧の行動に出るようになつた。そして、第一外科にはすでに最高決議機関として全医局員の賛同の下に医局会議が設立されているにもかかわらず、深谷助教授を始めとする文部教官らは専ら医局改革運動弾圧の意図から教室会議を設立した。しかも彼らは、医局においてそれまでなされてきた諸種の取決を一切無視して、教室会議を正式の機関として認めるよう一方的に強要してきたものであり、かかる行為は民主主義のルールの下では勿論、法制度論上も到底容認し難いものである。

そこで、原告らは、医局の円満な事態収拾のため、教室会議に属する文部教官に対して個別的にまたある程度の時間をかけて、教室会議を設立した理由等を質問し、また医局会議に復帰するように説得活動を行つた。被告はこのことをとらえ「つるし上げ」とか「暴力行為」とか主張しているけれども、原告らの説得活動が個別的にまたある程度長時間に及んだのは、彼らが原告らの説得や質問に対し論議することを極度に回避し、意識的にのらりくらりとした答弁をし、あるいは黙秘して原告らの質問に対し一切答えないという、予め用意された態度に終始したがためである。原告らの説得活動は右のとおり正当な目的に基づくものであり、その方法形態においても、教室会議派が予め用意された応待態度をとつたため、ある程度長時間に及び且つ個別的にならざるを得なかつたものであるから、充分に正当性を有するものである。

また、被告主張のいわゆる診療妨害についていえば、昭和四五年一月に至つて教室会議派が登院して診療を強行し、原告ら医局会議派を医局より排除しようとしたため、医局が混乱状態に陥つたので、原告らは医局の正常化のため再三にわたり全体会議での話合いを申し入れたのであるが、教室会議派はこれに応ずるどころか、かえつて右話合い要求を悪用して、外来等の診療中において突如として意識的に大声をはりあげて騒ぎ、いかにも医局会議派によつて診療が妨害されているかの如く擬装し、その模様を予め教室会議派と結託していた医学部当局が視察し、原告らに対し将来無籍化処分をなすための証拠作りに狂奔したのである。以上の如く被告らのいう診療妨害は医学部当局において演出したものであり、被告はそれを針小棒大に主張しているにすぎない。

3  副手及び研究員制度の廃止に関する反論

原告らは、雇用契約類似の契約に基づき第一外科において診療等の業務に従事する権利を有する。副手又は研究員への委嘱は、学内規程上の身分に原告らを整序するための形式的手続にすぎない。従つて、副手及び研究員は被告主張のとおり既に廃止されてはいるが、それによつて原告らの請求の理由がなくなるものではない。

そのうえ、副手及び研究員と専修生及び協力研究員との間には、被告が主張するような性格上の著しい差異や、越えられない城壁が存しているわけではない。また、大学は、自主立法権によつて原告らの実質的な地位に相当する暫定的職制を設けることができるのであり、これらの既存の補足的職制又は暫定的に設けうる補足的職制に原告らを整序することが可能であり、また整序すべきである。

従つて、いずれにしても、副手及び研究員制度の廃止は原告らの請求に影響を与えるものではない。

第三、証拠関係<省略>

理由

第一、被告の本案前の主張に対する判断

一、主位的請求について

1  訴の変更の可否について

原告らが「被告は原告らが金沢大学医学部附属病院第一外科において診療業務に従事する地位にあることを確認する。」との訴状記載の請求の趣旨を昭和四八年二月二二日付の準備書面において本件主位的請求の趣旨のように補正すると述べたことは記録上明らかである。

ところで、請求の趣旨を改める場合であつても、それが単なる表示の訂正又は表現の変更であつたり、曖昧又は不明確な請求の趣旨を事実的又は法律的に補充更正して明確にするものであれば、訴の変更とはならない。しかし、それによつて請求の同一性又はその態様、範囲に異同を生じさせるときは訴の変更となる。

本件の場合、「雇用契約類似の契約に基づき」及び「医師として」との字句を追加したことは、不明確な権利関係を明確ならしめるものとして、請求の趣旨の補正と解しうるが、金沢大学医学部附属病院外科学第一診療科のほかに「金沢大学医学部外科学第一講座」を加え、また診療業務のほかに「研究等の業務」を追加したことは、請求の範囲を拡張せしめるものとして、訴の変更にあたるものと解される。

しかしながら、右は請求の趣旨の変更によるものであつて、請求の原因には変更がない。また、本件審理の経過に徴すれば、右の変更を許容しても訴訟手続を著しく遅滞せしめるものではない。そして、右の変更は口頭弁論の終結前に書面によりなされ、右書面は被告に送達されているのであるから、民事訴訟法二三二条所定の各要件を充足しており、これを訴の変更として許容することに何ら支障はないものというべきである。

2  訴訟物の特定について

確認訴訟は、一定の具体的な権利又は法律関係の存否を既判力によつて公権的に確定して、紛争の解決をはかることを目的とするものであるから、その目的を達成させるためには、確定されるべき権利又は法律関係の性格、内容等が多義的であつてはならず、一義的に定まつていることが要請され、そしていかなる権利又は法律関係の確認を求めているかが請求の趣旨で特定されていることが必要である。

ところで、本件主位的請求の趣旨は、「雇用契約類似の契約に基づ」くものとして確認の対象たる権利の法律的性格づけを行い、またその内容についても「金沢大学医学部外科学第一講座及び同大学医学部附属病院外科学第一診療科において、医師として診療、研究等の業務に従事する権利」と特定しているから、訴訟物の特定については一応欠けるところがないものということができる。

二、予備的請求について

予備的請求は、原告らが被告国との間に「雇用契約類似の契約に基づく権利」を有することの確認を求めるものであるが、右のような表示では国のいかなる機関・施設でいかなる業務に従事する権利なのかが全く不明であり、訴訟物の特定を欠く不適法な訴として却下を免れないものというべきである。

三、並列的請求について

被告は、本件並列的請求は行政訴訟において許容されない、いわゆる義務づけ訴訟にあたり、不適法なものであると主張する。

原告らが、被告国との間の公法の法律関係に基づく金沢大学医学部外科学第一講座研究室等の使用権を根拠として、行政庁の継続的な使用妨害行為の禁止又は差止めを求めているのであれば、広義の義務づけ訴訟の一種である不作為命令訴訟(差止め訴訟)として、その許容性が問題となりうる。しかしながら、原告らがその根拠として本訴で主張している権利は、雇用契約的要素を主軸として委任契約的要素及び習業契約的要素が付加混合した私法上の無名契約に基づく権利であり、その請求内容からして、本訴はいうまでもなく民事訴訟法である。被告の主張は、公法上の法律関係を前提とする主張であり、原告らの主張する私法上の法律関係を前提とするものではないから、その前提を欠き、理由がないものといわねばならない。

第二、本案の判断

一、金沢大学医学部、同大学大学院医学研究科、同大学医学部附属病院及び同大学医学部第一外科医局について

1  金沢大学医学部及び同大学大学院医学研究科

金沢大学は、国立学校設置法三条の規定により設置された国立大学であり、同規定により同大学には学部の一つとして医学部が置かれている。そして、国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する文部省令により、右医学部の講座の一つとして外科学第一講座が置かれている。そして、成立に争いのない甲第三号証によると、昭和四四年九月一日現在、外科学第一講座には、教授一名、助教授一名、助手一名が配置されていた。

また、金沢大学には、国立学校設置法三条の二の規定により大学院が置かれ、国立大学の大学院に置く研究科の名称及び課程を定める政令により同大学院には四年課程の医学研究科が置かれている。しかし、成立に争いのない甲第四六号証の二及び三並びに甲第四七号証の一によると、大学院医学研究科には専任の文部教官は配置されておらず、医学部の教官が大学院医学研究科の教官を兼ね、大学院医学研究科学生(以下「大学院学生」という。)は医学部の特定講座の教官の指導を受けており、学部教育と大学院教育が同一講座内に同居しているという状態にあることが認められる。

2  金沢大学医学部附属病院

金沢大学医学部附属病院(以下「附属病院」という。)は、国立学校設置法施行規則一四条一項の「国立大学の医学部及び歯学部に、附属の教育研究施設として、附属病院を置く。」との規定に基づき開設された病院であり、金沢大学の医学部附属病院規則(成立に争いのない乙第一一号証)は「金沢大学医学部附属病院は、医学の教育、研究および公衆保健に寄与するため、患者の診療を行なうところとする。」と規定するとともに、附属病院には医学部の臨床系講座に対応する診療科を置き、外科学第一講座に対応する診療科としては外科学第一診療科を置くこと、各診療科の科長には当該講座担当の教授を充て、同副科長には同助教授を充てること、各診療科の診療は当該講座又は当該診療科の教授、助教授、講師及び助手である医師が行うことを定めている。このように、医学部の講座と附属病院の診療科とは、表裏一体の関係をなし、講座主任と診療科長を兼ねる教授の統制の下に、教育、研究及び診療の三機能を総合的に遂行するように組織されているといえる。

なお、附属病院は、右のように国立学校設置法施行規則の上では臨床医学の教育研究のための施設として設置され、学部学生及び大学院学生の教育並びに医学研究の場を提供することを目的とするものであるが、成立に争いのない甲第三号証、甲第四七号証の一、甲第五一号証及び乙第一一号証並びに原告大谷健の本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第八号証によると、附属病院は同時に大学院に属さない医学部卒業後の医師の臨床研修の場としてもきわめて重要な役割を担つており、また、北陸地方において最高水準の医療をめざす総合医療センターとしての機能をも果していることが認められる。

また、甲第三号証及び甲第四七号証の一によると、昭和四三年における外科学第一診療科の一日平均の入院患者は八五名、外来患者は三〇名であること、及び一つの講座と診療科で教育、研究及び診療の三機能を遂行するためには三五名から四〇名の医師が必要であるところ、昭和四四年九月一日現在において、第一外科の文部教官は医学部本務の教授一名、助教授一名、助手一名、附属病院本務の講師二名、助手五名の合計一〇名であつたことが認められる。

3  金沢大学医学部第一外科医局

医局は法令上の制度として設けられたものでないため、これに対する認識、理解も多様で、明確な定義づけはない。ただ、人事院規則一七―〇(管理職員等の範囲)は国家公務員法一〇八条の二の三項但書に規定する管理職員等として「医局長」を指定し、金沢大学の前記医学部附属病院規則六条は「各科に医局長を置き、その科の講師または助手をもつてあてる。医局長は、科長の命をうけて、その科の運営に関する業務を処理する。」と規定し、同規則八条は「各科の診療は、当該講座または当該科の教授、助教授、講師、および助手である医師または歯科医師が行なう。大学院医学研究科学生、医員、臨床研修医、医学部研究員、副手および医学部専修生である医師あるいは歯科医師は、科長の命をうけてその科の診療に従事する。」と規定しており、同規則上からは、医局は特定の診療分野によつて結び合わされた同規則八条掲記の医師の集団を意味し、薬局(薬剤部)、事務局(事務部)等と並んで附属病院運営上の組織の一単位をなしているものといえる。しかし、甲第八号証、甲第四六号証の二及び甲第五一号証によると、講座と診療科とが渾然一体となつて運営されている状況の下において、医局は単に附属病院の一単位にとどまるものではなく、当然のことながら講座と診療科の橋渡し的役割を果しているのであつて、医局は講座主任と診療科長を兼ねる教授の統制の下で、講座及び診療科所属の文部教官をはじめ多数の医師が当該専門分野の診療を核として、教育及び研究を合わせ営んでいる組織体となつていること、そして第一外科の医局も右のような医局の一つであることが認められる。

医局の構成員は、右のとおり、文部教官(助教授、講師及び助手)、大学院学生、その他の医師(副手、臨床研究医、研究員、臨床研修医等)から成つており、一般に医局員と称されているが、その身分、法律上の地位は一律でない。

二、文部教官以外の医局員制度について

1  副手制度

成立に争いのない甲第四八号証の一ないし三、甲第五一号証及び乙第四九号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五号証の三によると、次の事項が認められる。

大学医学部における六年の医学教育では、今日の進歩した近代医学の概要を理解し、また臨床的経験の一端を会得しえても、専門分野における医学知識及び臨床技術を修得することは困難であり、医学部卒業後医師免許を取得しただけで直ちに独立した臨床医師として医療に従事することは殆んど不可能である。そこで、従来から、臨床技術に習熟し、高度に分化・発達した専門領域の知識を修得するための卒後研修が何らかの形で一般に行われてきた。

金沢大学医学部においても、病院研修生制度を設け、医師の卒後研修を行つていたが、臨床系講座だけでなく基礎系講座においても医学研修を希望する者が出てきたため、医学部副手内規を定め、両講座に共通した研修制度として副手制度を設け、昭和三四年一〇月一日から施行した。

医学部副手内規の規定は次のとおりである。

第一条 金沢大学医学部長は、研究または診療上特に必要があると認めたときは、副手を委嘱することがある。

第二条 副手は、教授、助教授および講師の指揮を受け、研究または診療に従事する。

第三条 副手は、次の各号に該当する者の中から委嘱する。ただし、臨床講座の副手は、医師国家試験合格者であることを要する。

1 大学卒業者

2  (省略)

3  (省略)

第四条 副手の委嘱期間は、一年とし、引続き委嘱することができる。

第五条 副手は、常勤とし、無給とする。

第六条 副手の定員は、別に定める。

右の医学部副手内規は、昭和四五年四月一日から一部改正され、第五条の「常勤とし」が「常勤を原則とし」に改められ、次の一条が加えられた。

第七条 研究上または診療上特に支障ある行為があつた場合には、委嘱を解くことができる。

そして、副手を委嘱する場合には、「金沢大学医学部副手(無給)を委嘱する。外科学第一教室勤務を命ずる。任期は昭和○○年○月○日までとする。」という辞令が交付された。

しかし、医学部副手内規は昭和四六年三月三一日をもつて廃止された。

2  臨床研究生及び臨床研究医制度

成立に争いのない甲第四八号証の一ないし三、乙第一二号証、乙第一三号証、乙第一四号証の一ないし五、乙第一五号証、乙第一六号証及び乙第一七号証の一ないし五によると、次の事実が認められる。

右の副手制度は金沢大学医学部の内規に基づくものであるが、文部大臣裁定「臨床研究生制度実施要領」が昭和四三年三月六日から実施、同年一月五日から適用されることとなり、国立大学医学部附属病院において医学の臨床研究を行おうとする者で一定の要件を満たすものを「臨床研究生」として受け入れることができることとなつた。金沢大学においても、これを受け金沢大学臨床研究生規程を制定し、同年九月二七日から施行、同年一月五日から適用することとなつた。

臨床研究生制度の発足に伴い、副手のかなりの者は臨床研究生に切り替えられた。

臨床研究生制度の概要は次のとおりである。

(一) 臨床研究生として受け入れることができる者は、次のいずれにも該当する者とする。

(1) 医師免許を得ていること。

(2) 金沢大学又はその他において常勤の職を有せず、また開業していないこと。

(3) 附属病院において毎週三日以上一定の日に、医学の臨床研究を行うため診療に従事できること。

(二) 臨床研究生を希望する者は医学部長に申請書を提出し、医学部長は毎年大学長が定める定数の範囲内で右申請の許可を行う。

(三) 臨床研究生の研究期間は一年以内とするが、許可された日の属する会計年度を越えることができない。臨床研究生が研究期間の延長を願い出たときは、当該延長にかかる研究期間の属する年度の定数の範囲内でこれを許可することができる。

(四) 臨床研究生は、所属病院長の統轄の下に、各診療科の長の指導を受け、臨床研究に従事する。

(五) 臨床研究生は、月額八〇〇円の授業料を納付する。

(六) 臨床研究生が診療業務に協力したときは、一日六〇〇円の診療協力謝金を支給する。

そして、臨床研究生としての受入れを許可する場合には、「本学臨床研究生として、昭和○○年○月○日から昭和○○年○月○日まで研究することを許可する。」という許可書が交付された。

その後、前記の臨床研究生制度実施要領は一部改正され、「臨床研究生」の名称が「臨床研究医」に、診療協力謝金の支給額が一日一、四〇〇円に改められることとなり、金沢大学でも前記規程を金沢大学臨床研究医規程と改めたうえ同旨の改正を加え、昭和四四年八月二六日から施行、同年四月一日から適用した。

しかし、臨床研究医制度も昭和四五年三月末日をもつて廃止された。

3  医員制度

成立に争いのない乙第六号証の一、乙第二五号証及び乙第二六号証によると、次の事実が認められる。

昭和四五年四月三〇日付文部省通達により、同月一日以降国立大学医学部附属病院に診療等に従事する非常勤の医師として「医員」が置かれることとなつた。金沢大学においても、この通達に基づき金沢大学医学部附属病院医員取扱規程を制定し、昭和四五年六月一九日から施行、同年四月一日から適用することとなり、ここに医員制度が発足することとなつた。

医員制度の概要は次のとおりである。

(一) 医員は、附属病院において診療に従事するものとし、必要に応じ、診療を通じての臨床教育の補助的職務及び診療に関しての研究にも従事するものとする。

(二) 医員は、日々雇い入れられる一般職の非常勤国家公務員であり、従つて国家公務員法及び関係法令の適用を受ける。

(三) 医員として採用できる者は、医師(原則として医師免許取得後二年以上の医師)で、他に常勤の職を有せず、一週五日以上勤務でき、且つ原則として引き続き三か月以上勤務できる者とする。

(四) 医員になろうとする者は診療科長及び病院長を経て大学長あてに採用申請書を提出し、大学長は文部省からの配当定数の範囲内において病院長の選考に基づきこれを採用する。

(五) 医員の任用予定期間は一年以内とし、採用日の属する会計年度を越えないものとする。

(六) 医員には文部省の定めるところにより給与を支給する。

4  研究員制度

成立に争いのない甲第四八号証の一ないし三及び乙第五一号証並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証及び乙第五号証の二によると、次の事実が認められる。

金沢大学医学部においては、前記の副手制度に並行し、昭和四〇年四月一日から医学部研究員内規を施行し、研究員制度を設けた。この制度は、主に、博士の学位を有し他の病院等に勤務する医師で、その勤務を続けながら金沢大学医学部での医学研究を希望するものを受け入れるためのものであり、右内規は次のように規定していた。

第一条 金沢大学医学部長は、研究または診療上特に必要があると認めたときは、研究員を委嘱することがある。

第二条 研究員は、その属する講座における研究または診療に従事する。

第三条 研究員は、博士の学位があるもの、またはこれに準ずるものでなければならない。

第四条 研究員の委嘱期間は一年とし、引続き委嘱することができる。

第五条 研究員は、無給とする。

第六条 研究員の定員は、別に定める。

そして、研究員を委嘱する場合には、「金沢大学医学部研究員(無給)を委嘱する。外科学第一教室勤務を命ずる。任期は昭和○○年○月○日までとする。」との辞令が交付された。

しかし、医学部研究員内規は昭和四六年三月三一日をもつて廃止された。

なお、金沢大学医学部においては、昭和三四年五月一日から医学部協力研究員内規を施行し、「協力研究員」制度を設けた。協力研究員は、医学部長が研究上特に必要があると認めるときに委嘱するもので、博士の学位を有する者又はこれに準ずる者を有資格者とし、委嘱期間は一年で無給である。そして、協力研究員は、相当の研究業績を有する医師に対し大学側から研究への協力を依頼するためのもので、当人からの申請を待つて委嘱するというものではなく、また、通常は医局の構成員とはされていなかつた。ところが、研究員制度の廃止に伴い、昭和四六年四月一日からは従来の研究員と協力研究員とを統合した新しい協力研究員に改められた。

5  臨床研究生及び臨床研修医制度

成立に争いのない甲第四八号証の一ないし三、乙第七号証の一ないし七、乙第二一号証の一及び二、乙第二二号証の一及び二、乙第二三号証の一及び二並びに乙第二四号証の一及び二、並びに弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八号証、乙第一九号証の一ないし四及び乙第二〇号証の一ないし三によると、次の事実が認められる。

従来、大学医学部を卒業した者は一年間の実地修練(いわゆるインターン)を経た後に医師国家試験の受験資格を与えられていたが、医師法の一部を改正する法律が昭和四三年五月一五日公布施行され、大学医学部卒業者は実地修練を経ないで卒業後直ちに医師国家試験の受験資格を与えられ、医師免許を取得した後に「二年以上大学の医学部若しくは大学附置の研究所の附属施設である病院又は厚生大臣の指定する病院において臨床研修を行なうよう努めるもの」とし、病院長は「臨床研修を行つた者があるときは、当該臨床研修を行つた旨を厚生大臣に報告するものとする」こととなつた。そして、大学の附属病院における臨床研修については、文部省より次のような要領によつて行うよう通達された。

(一) 臨床研修を行おうとする者は「臨床研修生」として受け入れること。

(二) 臨床研修生になろうとする者から申請があつたときは、学長は選考のうえ文部省が通知する定数の範囲内で受入れを許可すること。

(三) 臨床研修生が附属病院の診療に協力したと病院長が認めたときは、予算の範囲内で診療に協力した日一日につき六〇〇円の額の診療協力謝金を支給するものとすること。

そして、昭和四四年度から、臨床研修生の名称は「臨床研修医」に改められ、診療協力謝金も一日一、一〇〇円に増額された。

ところが、医学部学生及び若手医師の間において、右の臨床研修制度に対する反対運動が展開され、金沢大学においてもボイコツト運動が起り、昭和四三年度及び昭和四四年度の受入れ人員は零であつた。そこで、金沢大学においては、右の臨床研修が円滑に実施されるまでの暫定措置として、医師免許を取得するまでの者は臨床見学生とし、医師免許取得後の者は臨床研修生として、病院長が附属病院での臨床見学又は臨床研修を許可することになつた。

しかし、昭和四五年になつて医師法に基づく臨床研修制度を受け入れる気運が生じてきたため、金沢大学では同年五月二五日から金沢大学医学部附属病院臨床研修医取扱規程を施行し、同年四月一日から適用することとなつた。同規程で定める臨床研修医の取扱い概要は次のとおりである。

(一) 臨床研修医の申請手続は、臨床研修医申請書又は臨床研修医研修期間延長願をもつて診療科長を経て病院長に願い出るものとする。

(二) 臨床研修医の受入れの許可は、文部省からの配当定数の範囲内で病院長が行う。

(三) 右の許可を行つたときは、「あなたは、下記のとおり金沢大学医学部附属病院臨床研修医として許可しましたのでお知らせします。」と記載し、診療科名及び研修期間を付記した臨床研修医許可通知書を交付する。

(四) 臨床研修医は、特定の診療科に所属し、原則として当該診療科において研修を行うものとする。

(五) 臨床研修の期間は原則として二年とする。

(六) 臨床研修医の受入れ及び延長の期間は一年以内とし、許可の日の属する会計年度を越えないものとする。

(七) 臨床研修医が診療に協力したときは、病院長の認定に基づき予算の範囲内で診療協力謝金を支給する。

ところが、昭和四六年四月一日からは、右の臨床研修医も前記3の医員の一種とされ、「医員(研修医)」と称されることになり、非常勤の一般職国家公務員として扱われることになつた。

6  大学院医学研究科学生制度

大学院は、いうまでもなく、前記の大学医学研究科における四年の博士課程で学ぶ学校教育法上の学生で、国立学校設置法一三条及び国立の学校における授業料その他の費用に関する文部省令の規定に基づき授業料、入学料及び検定料を納付するものである。

7  専修生制度

成立に争いのない乙第八号証及び乙第一〇号証によると、次の事実が認められる。

専修生は、金沢大学の金沢大学通則第三章及び医学部規程第三章の規定に基づき置かれる学生で、その制度の概要は次のとおりである。

(一) 大学医学部卒業者等で特定科目の研究を志願する者があるときは、教授会は「専修生」として入学を許可することができる。

(二) 専修生として入学を志願する者は、入学検定料を添え医学部長に願書を提出する。

(三) 専修生の修業年限は一年とし、願い出により延長を許可することがある。

(四) 専修生は、所定の入学料及び授業料を納付し、研究に要する材料及び薬品を自弁しなければならない。

三、原告らに対する副手委嘱等の状況について

1  別表二掲記の原告らが金沢大学医学部、同医学部附属病院又は同大学大学院医学研究科において同表記載のとおり副手若しくは研究員の委嘱、臨床研究生若しくは臨床研究医の受入れ許可又は大学院学生の入学許可を受けていたことは、当事者間に争いがない。

なお、原告福田は、昭和四二年四月副手の委嘱を受けた旨主張し、同原告作成の履歴書である乙第一四八号証、乙第一八四号証及び乙第二一四号証には右主張にそう記載があるが同原告作成の履歴書の記載のみをもつて右主張事実を認めることはできない。かえつて成立に争いのない乙第三四号証(昭和四二年度副手発令に関する金沢大学医学部の起案書)には、発令予定者として同原告の氏名が掲記されておらず、同原告は副手の委嘱を受けていないものと認められる。

また、原告土屋は、昭和四五年三月まで臨床研究医であつた旨主張するが、成立に争いのない乙第一九六号証によると、同原告は昭和四四年七月一一日付で臨床研究医を辞退していることが認められる。

2  原告生垣、同松田保秀、同三宅及び同伊藤が前記二に掲げた身分を付与されていなかつたことは、当事者間に争いがない。

四、副手委嘱等の性格について

1  副手は、前記のとおり、医学部副手内規に基づく地位である。同内規は副手を「委嘱」すると規定しているが、「委嘱」とは、通常、行政機関に置かれる委員会の委員等を任命する場合、当該行政機関と特別の権力関係のない他機関の職員や民間人を任命するときに使用される用語である。そして、右内規も、大学卒業者等から副手を委嘱する旨規定し、大学の部外者を委嘱の対象としているのである。更に、同内規は、副手は「研究または診療に従事」し、「常勤とし、無給とする」と規定しているが、これらの規定からすれば、副手の委嘱は、大学と何らの法律関係を有しない者に対し大学において研究及び診療に従事する基本的身分を付与する行為である。即ち、それは任命行為ないし採用行為というべきであり、大学において既に研究又は診療に従事しうる身分を有する者を病院組織上の特定の職、例えば診療科長、外来医長等の職につける、いわゆる補職行為とは根本的に性格を異にするものといわなければならない。

2  研究員の委嘱も、副手と同様の理由により、大学部外者に対し大学において研究及び診療に従事しうる基本的身分を付与する行為というべきである。

3  臨床研究生は、前記のとおり、金沢大学臨床研究生規程に基づく地位である。同規程は、附属病院で臨床研究を行うことを希望する者を、その者の「申請」に基づき「臨床研究生として受け入れる」とし、その対象を、医師免許を有し金沢大学又はその他において常勤の職を有しない者とし、更に臨床研究生は「臨床研究に従事」すると規定している。これらの規定からすれば、臨床研究生としての受入れ許可も、大学組織上における基本的身分を付与する行為であり、診療及び研究に従事する権限も臨床研究生の身分付与により発生することが明らかである。臨床研究医は、臨床研究生の名称が変つたものにすぎず、臨床研究医の受入れ許可も、同様の性格を有する。

4  大学院学生としての入学許可は、いうまでもなく金沢大学における学生としての身分の創設的な付与行為であつて前記のとおり医学部附属病院規則八条二項は、大学院学生は「科長の命をうけてその科の診療に従事する」と規定しており、診療及び研究に従事する権限も大学院学生の身分付与により発生することは明らかである。

5  以上のように、委嘱又は許可が大学における基本的身分の付与行為であるとして、大学院学生の身分が国立大学たる金沢大学の学生であり、その修学関係が公法上の法律関係であることはいうまでもないが、副手、研究員、臨床研究生及び臨床研究医(以下これらを「副手等」という。)たる身分の法的性格は必ずしも明らかでないので、次に右の法的性格を検討することとし、それを知る上において先ず副手等が従事した診療、研究等の内容を明らかにすることとする。

五、副手等の従事した診療、研究等の内容について

1  成立に争いのない甲第四六号証の二及び三、甲第四七号証の一並びに甲第四九号証の一、原告大谷健の本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第八号証及び甲第三六号証の一並びに証人荒川龍夫及び同深谷月泉の各証言によると、大学院医学研究科を経ず直ちに副手等になつた者の従事した診療、研究等の内容は、次のとおりであることが認められる。

(一) 大学院医学研究科を経ず直ちに副手等を希望する者は、臨床修練と博士の学位取得を目的として第一外科の医局に入局(第一外科の副手等の身分を新規に取得することをいう。以下同じ。)した。

(二) 医局において行われる業務の主要なものは、次のとおりである。

(1) 入院患者及び外来患者の診療

(2) 外科学の研究

(3) 学部学生、大学院学生及び副手等の教育指導

(三) 副手等は、全て教授、助教授等の指導の下に入院患者の診療に従事したが、その具体的内容は次のとおりである。

入局一年目の副手等は、病室において、病室担当医である入局後四年以上の医局員又は助手の補助者として、入院患者の病歴聴取、血液屎尿検査、術前検査、手術補助、術後管理等を行つた。

入局二年目の副手等は、虫垂炎、ヘルニヤ、痔核、乳腺疾患など比較的軽症患者の担当医となつた。

入局三年目の副手等は、甲状腺疾患、乳腺疾患、胃疾患などの患者の担当医となつた。

入局四年目の副手等は、悪性胃疾患、胆石症など腹部疾患患者の担当医となつた。

入局後五年以上の副手等は、食道癌、肺癌、肝臓癌、パンチ氏病など比較的重症患者の担当医となつたが、この段階になると副手等と講師及び助手との間で診療業務内容に画然たる差がなく、講師又は助手の受持患者を副手等が引き継ぐということも行われた。

右の病室勤務は午前八時半から午後五時までを原則としたが、重症患者を担当するときは事実上二四時間拘束となつた。

また、入局後二年以上の副手等は、当直も担当した。当直医となると、入院患者の急変に対処し、また外来の救急患者の治療にあたり、翌朝主任教授に重症患者の病状を報告し、処置に対する指示を受けた。

(四) 入局後二年以上になると、外来患者の診療にも従事した。即ち、外来医長である講師又は助手の統轄の下に、病歴聴取、レントゲン検査、血液、屎尿、胃液等の検査、通院患者に対する診察、処置、投薬、注射などの治療、教授又は助教授の新来患者に対する診察所見の記録等を行つた。

(五) また、入局後二年以上の副手等は、医局と人的なつながりのある関連病院へ出向し、そこでの診療に従事した。大学病院はややもすれば特殊な患者に偏りがちであるため、関連病院で地域社会に直結した各種の患者に接し、社会性のある医療を体験するという配慮もないではないが、関連病院での診療は、主として、関連病院側の診療要員確保上の要請と、副手等の側の生活費確保の必要性に基づくものであつた。即ち、入局後二年以上の副手等については、医局長が一年を三期に分け、各期ごとに入院患者に対する診療業務、外来患者に対する診療業務、関連病院における診療業務のいずれかを割り当て、副手等は右割当てに従い一年のうち三か月から四か月程度関連病院へ出向し、そこで支給される報酬をもつて一年間の生活費に当てていた。なお、附属病院内で診療に従事する期間内においても、週のうち何日か市中病院へパートタイム医師として勤務することがあつた。

(六) 副手等は、入局後主任教授から学位論文のテーマを与えられ、前記診療業務の傍ら論文作成のための研究、実験に従事した。そして、入局後六年を経て論文を提出することが認められるが、通常は六ないし八年を経て論文を完成し博士号を授与されていた。

(七) また、副手等は、学部学生に対する教授、助教授等の講義に際し、スライド写真等の教材や講義録の作成に参画し、ベツドサイド教育に際しても供覧患者の担当医としてこれに参加した。更に、年次を経ると、若手医局員の指導も担当した。

2  大学院卒業後に副手等又は研究員となつた者は、博士号取得後もなお医局で臨床医学の研究を重ねていたものであるが、1掲記の証拠によると、第一外科で従事した診療等の業務は1記載の副手等の上級者とほぼ同様であることが認められる。

六、副手等の法的地位について

1  以上の認定を合わせ考えると、副手等の諸制度は、その沿革からして、いずれも、医学部卒業後の医師に対し臨床技術に習熟し、高度に分化発達した専門領域の知識を修得させることを目的としたものであることが明らかである。即ち、医学部における六年間の教育では医学の基礎的な知識と技術訓練しか与えられないため、医学部を卒業し医師免許を取得しただけでは独立した臨床医として医療を行うことが困難であるところから、これらの医師に対し右の医学部における基礎教育の上に立つて、教授以下の指導的医師団の指導、指示の下に各専門分科の医学研修、就中診療行為を通じての臨床修練を行わせることを目的としたものである。この意味において、副手等が臨床各科の知識技術の教育、指導を受ける被教育者的性格を持つていることは否定できない。特に、診療の質、役割という点に着目すれば、医師免許取得直後の医師にはこのような被教育者的色彩が強いといえよう。副手等の内規、規程においていずれも臨床研究に従事することをその内容とし、特に臨床研究生及び臨床研究医について授業料納付義務を定めているのもこれを裏打ちするものであり、また前記認定のような研究、診療の実態からも副手等が被教育者的地位にあつたことが明らかである。

2  しかしながら、前記認定のとおり、医学部附属病院規則並びに副手等の内規及び規程は、診療に従事することも副手等の職務内容とし、副手等は現実にも医師としてそれぞれの経験年数と修得技倆に応じ診療業務に従事しており、特に入局後経験を重ねるに従つて、自らも入院患者の担当医となり、重症患者を診療し、診療の質、程度において文部教官たる講師、助手と大差がない。また、附属病院が臨床医学の発展と専門分化に応じ、診療、研究、教育の実をあげ、地域の総合医療センターとしての機能を果すためには、文部教官たる医師のみでは充分でなく、副手等が附属病院での診療その他の業務遂行上果してきた役割は決して軽視することができない。即ち、副手等の診療は、教育目的のみに限定されたものではなく、附属病院の業務遂行の目的をも有していたものといわざるをえない。これらの点からすると、副手等は被教育者であると同時に附属病院における診療等の業務の分担者であり、金沢大学医学部及びその附属病院に勤務する職員としての地位にもあつたものというべきである。

このことは、臨床研究生及び臨床研究医が診療に従事した場合に診療協力謝金として授業料をはるかに上回る額の金銭的給付がなされたこと、その後設けられた臨床研修生及び臨床研修医にも診療協力謝金が支給され、また副手等に代るものとして新設された医員に対しても非常勤の一般職国家公務員として一定額の給与が支給されるようになつたことなど、勤務に対し対価的意味を持つ給付がなされていることからも裏打ちできよう。なお、副手及び研究員は無給とされていたが、その反面授業料納付義務もない点からすると、実質的には副手等の勤務的側面を是認したうえで、その報酬の支給と被教育者として納付すべき授業料を損益相殺することにより、副手等の諸制度が制定、運用されてきたといえよう。

更に、副手等を大学に勤務する職員とみることは、副手及び研究員に対する辞令の中で、「委嘱する」、「勤務を命ずる」及び「任期」の各文言を使用していたこととも符合するものである。

3  このように研修と勤務が渾然一体として行われ、被教育者側面のみでは、その実態に則した説明ができない以上、副手等は金沢大学医学部及びその附属病院に勤務する職員として取扱うべきである。そして、このような勤務関係に立つ者に対して研修が行われたとしても、これによつて、その者が勤務者であることを否定することにはならないし、これと矛盾するものでもない。しかし、このような考え方に立つとしても、副手等の法的地位を結論づけるには、以下述べるような諸点が考慮されねばならない。

(一) 金沢大学医学部においては、教授会の決議により医学部副手内規及び医学部研究員内規を制定し、医学部長が副手又は研究員の委嘱をする旨定めているが、これは被告国が金沢大学の設置者として法律、政令等で定めるものを除き同大学の管理運営に関する事項を同大学の自主決定権に委ね、同大学では右の授権を受けて金沢大学管理規程(成立に争いのない乙第九号証)を制定し、そこで医学部の管理運営権を一定の範囲で医学部教授会に委ねていることに依拠するものである。また、金沢大学は金沢大学臨床研究生規程(後に金沢大学臨床研究医規程と改正)を制定し、医学部長が臨床研究生(後に臨床研究医)の受入れ許可をする旨定めているが、これも金沢大学が文部大臣裁定による授権を受けて制定したものである。従つて、副手等の委嘱又は許可は、医学部長が被告国の代理人たる地位においてなしたものであり、これによつて生ずる身分関係は国との間に生じたものであつて、委嘱、許可の主体は国というべきである。

(二) 次に、金沢大学医学部及び同附属病院は、いずれも公益上の必要から国の立法によつて設置、開設された教育研究施設であると同時に公衆保健に寄与するための診療を行う機関であり、そこで行われる業務は公務であり、そこで副手等が従事する診療、文部教官の教育研究の補助等の業務は、文部教官の指揮命令によつて従事するもので公務であるといわなければならない。

(三) 更に、副手等の身分(職制)及び勤務関係をみるに、採用資格、業務内容、委嘱又は許可期間、報酬の有無、診療協力謝金の支給及びその金額の変更、身分の改廃等は、いずれも金沢大学医学部内規及び文部大臣裁定に基づく金沢大学規程によつて一方的に決定され、これについて当事者双方が対等の立場で合意をなすということは全く予定されていない。

(四) 以上に述べてきたように、身分関係発生の主体が国であること、従事する業務が公務であること、身分及び勤務関係が大学の内規、規程によつて一方的に規律されていることからすると、副手等の勤務関係は、公法上の法律関係であるとみるべきであり、その身分は、一般職の国家公務員というべきである。しかし、副手等は金沢大学所定の勤務時間中、常時大学のための業務に従事するものではなく、その間に自分自身のための自主的研究を行い、一週のうち何日かを市中病院にパートタイム医師として勤務することもあり、また一年のうち三か月から四か月程度は関連病院へ出向してそこでの診療業務に従事する実態からすると、非常勤の国家公務員というべきである。

このように、副手等を非常勤の国家公務員とみることは、副手等に代つて新設された医員が非常勤の一般職国家公務員と明記されるようになつたことによつても裏打ちされるものである。

4  なお、非常勤の国家公務員は、行政機関の職員の定員に関する法律の適用を受けないから、金沢大学の内部規程で副手等の職を創設しても右の法律に違反するものではない。また、人事院規則八―一四(非常勤職員等の任用に関する特例)は、「非常勤職員の採用は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができる。」と規定しているから、副手等の採用にあたり特別の手続をとらなかつたとしても、何ら違法ではない。さらに、一般職の職員の給与に関する法律第二二条は、非常勤の職員については予算の範囲内で給与を支給することができる旨を定めているが、予算の都合により副手等を無給としたり、またはこれに診療協力謝金を支給したことは、右規定に符合するものである。その他、公務員法制上、副手等を非常勤の一般職国家公務員とみることに妨げとなるような規定はみあたらない。

七、雇用類似の私法上の無名契約の成否について

1  原告らは、被告国との間に、雇用契約的要素を主軸とし、これに習業契約的要素及び委任契約的要素が付加混合した私法上の無名契約を締結し、同契約に基づき金沢大学医学部外科学第一講座及び同医学部外科学第一診療科において医師として診療、研究等の業務に従事する権利を有するものであり、同契約は別表一の入局年次欄記載の年月頃に原告らの申込と主任教授の承諾により成立したものであると主張する。また、原告らの中には副手の委嘱又は臨床研究生の許可を受けている者がいるが、副手の委嘱や臨床研究生の許可は、右契約によつて成立した原告らの勤務医たる法的地位を、内部組織上の位置、職務内容等においてある程度明確化し、整序する行為(一種の補職的行為)であり、右契約成立後の手続にすぎないと主張する。

2  原告らにおいて雇用類似の契約が成立したと主張する日時に、原告大谷、同三浦、同関川、同米倉及び同永守が副手の委嘱を受け、原告高橋が臨床研究生としての受入れ許可を受け、原告浜辺、同藤記、同福田、同土屋及び同斉藤が大学院学生としての入学許可を受けていることは、前記のとおりである。原告らは、右の委嘱又は許可は、右契約によつて成立した勤務医たる法的地位を大学組織上の位置に整序し、その具体的担当職務を明確化するための一種の補職行為であり、右契約成立後の手続にすぎないと主張する。

しかしながら、前記のとおり、副手の委嘱及び臨床研究生の受入れ許可は、非常勤の一般職国家公務員への任命行為であり、大学院学生の入学許可は、国立大学学生の身分付与行為であり、また国家公務員又は国立大学学生たる身分の付与により診療、研究等に従事する権限が発生するのであつて、その勤務又は修学関係は公法上のものというべく、このことからして、国家公務員への任命又は国立大学学生の入学許可とは別個に、診療、研究等に従事する権限を発生せしめる雇用類似の私法上の契約が締結されているものでないことは明らかといわなければならない。

もつとも、身分創設規程たる金沢大学臨床研究生規程が昭和四三年九月二七日施行にもかかわらず同年一月五日に遡及して適用されたことは前記のとおりであり、成立に争いのない乙第六二号証及び乙第六三号証によると、原告高橋の場合、臨床研究生としての発令日が同年一〇月一六日であるにもかかわらず教授会での承認決議は同年一一月二〇日であり、更に成立に争いのない乙第三六号証、乙第三九号証、乙第四五号証、乙第四八号証及び乙第四九号証によると、副手についても遡及発令がなされ、例えば原告関川の場合、昭和四三年四月一日付で副手の発令を受けているにもかかわらず、教授会での承認決議は同年五月一日であることが認められる。これらの身分創設規程の遡及適用や身分付与の遡及発令の事実に、証人荒川龍夫及び同村上元孝の各証言を総合すると、金沢大学医学部においては、医局の構成員となることを入局と称し、未だ副手等の発令のない者についても主任教授が入局承諾を与えて事実上診療、研究等に従事することを認めていたことが認定される(ただし、大学院学生については、このような事実をうかがわせる証拠はない。)。しかし、他面、成立に争いのない甲第三号証及び甲第四八号証の一ないし三並びに証人村上元孝の証言によると、金沢大学医学部においては、主任教授が入局を承諾した者については、事前又は事後に医学部教授会で副手、臨床研究生等としての承認決議をなし、その旨の発令(事後の場合には遡及発令)をなし、何らの具体的身分を有しない者が診療に従事することのないよう措置していたことが認められる。そうだとすると、主任教授の入局承諾も、教授会の承認を条件として行う副手等の具体的身分付与行為(副手等の条件付任命行為)であり、副手等の任命は教授会の承認によつて正式なものになると解するのが自然である。

以上要するに、副手の委嘱、臨床研究生としての受入れ許可及び大学院学生としての入学許可により、前掲原告らに大学内での地位が発生し且つ診療及び研究を行う権限が発生するのであつて、右の委嘱又は許可行為とは別個に主任教授の入局承諾による雇用類似の契約の締結があつたと認めることはできないものといわざるをえない。

3  原告松田尚武及び同岡田は、別表二のとおり副手の委嘱を受けているが、右委嘱より以前の昭和四〇年四月に雇用類似の契約を締結し、また、原告長谷川及び同奥村は別表二のとおり臨床研究生の許可を受けているが、右許可により以前の昭和四三年四月に右同様の契約を締結したと主張する。

成立に争いのない甲第二六号証(金沢大学医学部第一外科学教室同窓会名簿)には、右原告らの入局年月として、原告松田尚武及び同岡田につき昭和四〇年四月、原告長谷川につき昭和四三年四月、原告奥村につき昭和四三年七月なる記載がある。しかし、右のような同窓会名簿の記載から直ちに右年月頃何らかの法律関係の発生したことを認むることは困難であり、他に右主張事実を裏付ける証拠はない。のみならず、右原告らは右主張の年月より数か月を経て副手の委嘱又は臨床研究生の許可を受けているのであつて、前記2で述べたと同様の理由によつて、右の副手又は臨床研究生の任命行為と並行して今日なお効力を有するような雇用類似の私法上の契約が成立していたものと認めることはできない。

4  次に、原告生垣、同松田保秀及び同三宅は、昭和四四年四月に雇用類似の契約を締結したと主張する。

成立に争いのない甲第二五号証及び甲第二六号証、原告大谷健の本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二七号証及び甲第四五号証の一四並びに証人荒川龍夫の証言及び同証言により真正に成立したものと認められる甲第四五号証の一によると、次の事実が認められる。

昭和四四年四月二〇日、文部教官を除く第一外科医局所属の医師の間で第一外科医局改革会議を結成し、主任教授に対し、<1>医局長を公選すること、<2>医局会議を設置しこれを医局の最高決議機関とし、教授以下全ての医局構成員に一票の議決権を与えることの二項目の即時実施を要求する決議文を提示し、もしこれを承認しなければ同年五月以降の診療等第一外科医局の業務に応じないとして、その承認を要求した。同年四月二八日主任教授は右要求をのみ、同年五月一七日第一回の第一外科医局会議総会が開かれ、第一外科医局会議規約を採択した。同規約の附則は、同規約は医局会議の全構成員の署名により発効すると規定しているが、翌五月一八日までに主任教授以下六四名の医師が署名した。そして、同規約は「構成員の資格の取得ならびに喪失は総会の承認による」と規定しているが、原告生垣、同松田保秀及び同三宅は、五月一七日の医局会議に出席して第一外科医局の構成員となることを承認され、右規約に署名した。以上の事実が認められる。

しかしながら、前記のとおり、金沢大学医学部においては、附属病院で診療に従事する医師に対し、事前又は事後に、教授会において学内規程で定める臨床研究医、臨床研修医等の具体的身分を付与することの承認決議がなされ、その旨の発令がなされているが、右原告らについてこのような手続のなされていないことは、同原告らの自認するところである。そしてまた、医学部教授会が第一外科医局会議を正規の学部内機関として、あるいは第一外科医局会議規約を正当な学部内規程として、これを承認したことを認めるに足る証拠はない。

そうだとすれば、右原告らが前記のとおり第一外科医局会議においてその構成員となることを承認されたことにより、教授会の承認を条件とする公法上の条件付任命行為があつたものと考えることがあるいは可能かも知れないが、右条件は結局のところ成就しなかつたものであり、被告国との間に私法上の雇用類似の契約が締結されたものとは到底いうことができない。

5  また、原告伊藤は、昭和四五年四月に雇用類似の契約を締結したと主張する。

証人荒川龍夫の証言及び甲第四五号証の一によると、原告伊藤は昭和四五年四月二五日の第一八回第一外科医局会議総会において同会議の構成員となることを承認されたことが認められる。

しかしながら、右のような事実のみをもつて、被告国との間に雇用類似の契約が締結されたといえないことは、前記4記載のとおりである。そして、右の証拠によると、当時主任教授及び主任代行は医局会議を既に脱退しているのであるから、原告伊藤については副手等の条件付任命行為すらこれを認めることができない。

6  別表二掲記の原告らは、予備的主張として、同原告らが同表記載のとおり副手の委嘱又は臨床研究生若しくは臨床研究医の許可を受けた際、右身分の申請・承諾という手続を通じて、又はこれと合体した黙示の意思表示によつて、被告国との間に雇用類似の無名契約を締結したと主張する。原告らの右主張は、畢竟、副手の委嘱や臨床研究生又は臨床研究医の許可行為が雇用類似の私法上の契約の締結行為であり、副手等の地位が私法上の契約に基づくものであるとの主張に帰するものと解される。

しかしながら、副手等の委嘱又は許可行為の性質は、相手方の同意又は申請を条件とする行政行為(任命行為)というべきであり、これによつて取得される法律上の地位は、非常勤の一般職国家公務員であり、その勤務関係は公法上の法律関係と解すべきことは、さきに述べたところであつて、これを雇用類似の私法上の契約の締結行為であり、その地位も右契約に基づくものであるとする原告らの予備的主張は理由がないものというべきである。

八、副手等の勤務関係の争訟手続について

1  ちなみに、副手等が非常勤の一般職国家公務員たる地位にあるとすれば、その任免、分限、懲戒、その他の勤務関係については、直接には副手等の内規、規程によることは勿論であるが、これに規定されていないものについては、国家公務員法その他の公務員関係法律及び人事院規則の一般原則を適用すべきである。そうだとすると、原告らが本訴において請求しているような不利益処分又は懲戒処分を理由とする訴訟は、国家公務員法九二条の二及び八九条一項の規定の趣旨からして、行政事件訴訟として抗告訴訟又は当事者訴訟の適用を受けるべきものといわねばならない。

2  なお、原告浜辺、同藤記、同福田及び同土屋は、ある期間、金沢大学医学部附属病院麻酔科又は金沢大学がん研究所勤務の助手の身分を有しながら第一外科医局に所属し、そこで診療、研究等を行つていたと主張しているが、麻酔科等に勤務するか第一外科に勤務するかは内部の職員配置ないし事務分配上の問題にすぎず、いずれにおいて診療、研究等に従事するも、それは常勤の一般職国家公務員たる金沢大学助手としての身分の下に行うものであつて、国家公務員法等、公務員関係法令の適用を受け、その勤務関係を争う場合において行政事件訴訟によるべきことはいうまでもない。

3  更につけ加えると、金沢大学医学部における臨床研究医制度は昭和四五年三月に廃止され、医学部副手内規及び医学部研究員内規も昭和四六年三月三一日限り廃止され、これに伴い副手及び研究員の地位も消滅したことは、前記認定のとおりである。従つて、副手等の地位が公法上の権利関係にあることを理由とし、又はこのような公法上の身分を喪失させた行政処分を違法として、行政訴訟を提起するとしても、これら訴訟は、既に消滅した過去の法律関係(身分)に関する訴訟として、訴の利益を欠缺するものといわねばならない。もつとも、右副手等の制度の廃止の際医員制度ができたこと、また金沢大学医学部には、副手等の制度実施当時から設けられていた協力研究員制度及び専修生制度が現在存続していることは前記認定のとおりであるが、協力研究員制度は博士号の学位を有し高度の医学的素養を有する者に研究の協力を依頼する制度であり、また専修生制度は授業料を納付して教育を受ける純然たる学生の一種で副手等の制度とは内容を異にするうえ、協力研究員又は専修生となるには所定の手続を経る必要があり、右制度の廃止によつて、その地位にあつた者が当然且つ自動的に協力研究員又は専修生たる地位を取得できるのではない。また、医員制度は法的性格において、副手等と近似するが、医員は日々雇い入れられる一般職国家公務員として学長が任命するものであり、且つ任命資格も副手等と異つており、更に予算措置を伴う給与を支給されており、これに伴い医員定数も文部省の配当定数の範囲内で定めるよう制約を受けているのであつて、副手等の制度の廃止に伴い、その地位にあつた者が当然自動的に医員たる地位を取得できるものでないことは明らかである。なお、証人村上元孝の証言によれば、金沢大学医学部では副手等の制度の廃止と医員制度の実施に伴い従来副手等であつた者の相当数が医員に任命され、一部の者は専修生として許可されたことが認められるが、これらは、いずれも所定の手続を経たうえ、その適格性を判定されこれらの地位を付与されたものと認められ、そこには任命又は入学の許可に関する大学の裁量又は選択が入つているのであつて、副手等の地位にあつた者が自動的に医員又は専修生の地位を取得したものではない。従つて、医員、協力研究員及び専修生の制度があるからといつて、原告らにおいて所定の申請手続を経ずにこれらの地位を主張することはできないものといわなければならない。

九、主位的請求について

原告らの主位的請求は、原告らが私法上の契約に基づく権利があることを前提とし、その地位の確認を求めるものである。しかしながら、原告らが主張のような権利を有すると認められないこと前記のとおりであり、その請求は理由がない。

一〇、並列的請求について

原告らが並列的請求において求めているのは、原告らが主位的請求及び予備的請求において主張しているような私法上の契約に基づく権利があることを前提として、原告らの右権利行使の妨害の禁止を求めるものである。しかしながら、原告らが、その主張のような私法上の権利を有すると認められないことは前述のとおりであり、これが存在を前提とした並列的請求は理由がないものといわなければならない。

第三、結び

してみると、原告らの主位的請求及び並列的請求は、いずれも失当として棄却し、予備的請求は不適法として却下すべきである。よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条及び九三条一項本文の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤義則 泉徳治 塚田渥)

(別表省略)

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